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比也里新聞2001年6月掲載

スリランカより第一号の報告をします。
こちらに来て今で2ヵ月半。最初の5週間はコロンボでホームステイをしながら現地訓練(社会文化や語学講座など)を受け、その後、任地ゴールに赴任ました。仕事の方はまだ授業をこなすだけで協力隊員としての活動にはなっていないので、今回は生活面だけを取り上げて、感じたこと、日本と違うところなどをお伝えしようと思います。

 まずは食事について。毎食辛いカレー。と言ってもカレー風味のいろいろなおかずとごはんを一つの皿に入れて右手で食べます。現地訓練中にホームステイしていた家では食べる時間は決まっていなくてお腹がすいたら適当に食べていました。しかも家族ばらばらで、場所もあっちこっち。歩きながら食べたりしています。困ったのは時間が遅いこと。特に夜は9時とか10時にたくさん食べる。おなかがすいたままでは眠れないと思っているようです。だからかどうか分かりませんが、異様にお腹が出ている(太っている)人が多いです。こういう家庭が多いようです。
 不便だと思ったのは、トイレに紙がないこと。シャワーは水だけだということ。バスの中がいつも混んでいて、暑くて、運転が荒くて、道が混んでいること。町を歩いているとやたら声をかけられること。 言葉が通じないこと。音楽を大音量で聴くこと。
 おもしろいと思ったのは、自転車の二人乗り。乗せてもらう人は後ろではなくて前に乗っています。ハンドルと椅子の間に渡してある棒におしりを乗せてまたがず両足を片方に出しています。(写真を撮ろうと思っていたのですが、できませんでした。次回に・・・)それから、日本の米の袋(ビニール製)に持つところを付けてバッグ代わりにしているものが若い子に人気があること(けっこうみかけます)。ホロスコープがあらゆるところで影響があること。例えば引越し、結婚、仕事、勉強など。それから、友達同士仲がよくていつも一緒にいること。男同士でも手をつないだりしています。若いカップルはかさに隠れてデートをしています。
 町で見かけるのは、牛車。コロンボでは見たことがありませんでしたが、ゴールを含め他の町ではよく見かけます。あと、物乞い、スラム。
 ほかにもたくさんあります。日本の生活しか知らない私には不便なことが多いです。これがあったらもっと便利なのに、と思うことがたくさんあります。でもなくても済むものだなぁと最近思います。ここの人たちはそれで十分生活しているのですから。便利だからあった方がいいよ、と言って距離的にも文化的にも遠く離れた日本から物や考え方を持ち込むことがいいことなのかどうか、考えてしまいます。手で服を洗いながら、「あぁ、洗濯機があったら楽なのになぁ」とやっぱり思ってしまっているのですが・・・。


2001/06/17 上に戻る

比也里新聞2001年8月掲載

比延の里の皆さん、お元気ですか。

 スリランカに来て、どうにかこうにか4ヶ月が過ぎました。と言うのは、5月に任地に赴任してから、日々の授業を無我夢中でやってきたからです。でも、この暑さですから、学生も我々教師もだらけてしまうことが多く、どうやってメリハリをつけて授業をするか・・・いつも頭を悩ませています。自分の力不足、勉強不足を実感しています。
 先日、4日間かけて学生達と国内旅行をしてきました。お金を使わない代わりに体力を使う、思ったよりも大変な旅行でした。旅行の前日には安全を祈願するためお寺へ行きました。当日、ホロスコープでいい時間を見て朝4時半に出発。貸切の小型バスの天井にかばんの他、鍋や食材を、後部座席にはガスコンロを積んで。そう、食事は全て自炊です。途中、スリランカらしくバスが故障したりしましたが、学生はずっと歌を歌っていました。「瀬戸の花嫁」や「四季の歌」、「かえるの歌」なども歌いました。泊まったのは全てテクニカルカレッジの教室の床です。朝は3時ごろに起きて、その日の朝食と昼食を作り、7時半ごろには片付けて掃除して学校を出発。それから、名所を見たり、川や滝で水浴び(お風呂)をしたり、ご飯を食べたり、ダンスをしたり。水浴びの時は、みんな一緒なので(プール、若しくは混浴状態)、体に巻いた布がずれ落ちないようにするのが一苦労でした。そしてまた次のテクニカルカレッジに着いたら晩御飯の準備。こんな感じで常に睡眠不足、体力消耗を感じていました。
 旅行で一番驚いたことは、ご飯を食べている時に、学生が「先生のごはん食べさせて~、あ~ん」と言ってやって来たことです。女の子だけじゃなく男の子も口を開けて待っているのです。手でこねて、それぞれの口に入れてあげました。でも、その後自分のご飯が食べられませんでした。20歳を過ぎた男の子が「あ~ん」というのにはびっくりしました。パドマ先生(私のカウンターパート)に聞いたら、あれは旅行の楽しみのひとつらしいです。学生にも教室で「日本では、自分の小さな子供か、恋人じゃないとしないからびっくりした」と言ったら、学生は「私達は先生の子供です。恋人と同じですから、問題ありませ~ん」という答えが返ってきました。
 私が旅行に行ってよかったと思ったことが三つあります。一つは、古都キャンディの植物園に行った時に、キャンディで活動している隊員に同行してもらえたことです。学生は、先生とは違う他の日本人との会話をとても楽しんでいました。もう一つは日系企業(ノリタケ)に見学に行ったことです。みんな日本語を勉強しているので、日系企業にとても関心があります。工場見学だけで雇用状況など詳しく聞く時間がなかったのが残念でしたが、学生達は熱心に説明に耳を傾けていました。日本人の責任者の方との会話も楽しんでいました。三つ目は、教室の中より日本語をたくさん話したことです。授業中はすぐシンハラ語の雑談になってしまい、日本語を話す量が少ないのですが、観光地で一生懸命私に日本語で説明してくれました。特に普段あまり勉強が出来なくておとなしくしている学生が懸命に日本語を話そうとしていたのがうれしかったです。こんな感じでスリランカ人とスリランカらしい旅行が体験できました。
 仕事も私生活も悩むこと、ストレスを感じることが多く、試行錯誤の毎日ですが、家族や友人からの便りを励みにがんばっています。

2001/08/15 上に戻る

互助会報第16号掲載

西脇市長はじめ市役所の皆さん、お元気ですか?

 私は赤道近いスリランカで元気に日本語を教えています。
 前回の互助会報に、任地ゴールに赴任してすぐの生活の様子を書いた手紙が載ったということなので、今回は赴任後の仕事について報告したいと思います。
 前任者が帰国してから私が赴任するまでの2週間は、現地人講師が一人で授業をしていたました。授業は月曜日から金曜日まで1日5~6時間あるので、やはり大変だったようです。待ってましたとばかりに、着任してすぐ授業を分担しました。一人が教壇に立っているときは一人が後ろで見ています。テキストは日本でも使っていたので慣れていましたが、授業の進め方等は勝手が違うことが多くて戸惑いました。同時に、このやり方では・・・と疑問に思うことも多々ありました。ただ、前任者が試行錯誤の末、2年間で築き上げてきた結果なので、スリランカでは、特にこの学校ではベストなのかもしれない、とがまんして様子を見ることにしました。これだけは、と思うことはカウンターパート(同僚)に言って変えましたが。8月11日から2週間は夏休みです。これまでの授業を振り返り、今まで疑問に思っていたことを整理して改善できるところは改善したいと思っています。時間割、授業の分担、授業の進め方、教材の整理、シラバスの整理、カリキュラムの再検討等々、したいことはたくさんあります。それから、夏休み中にカウンターパートと日本語教師隊員の授業を見学に行く予定です。カウンターパートにも、改善の必要性を実感してもらえたら、と思っています。それから、今一番大きな課題は新コースの設置についてです。前任者も配属省から言われていて、私も表敬訪問に行った時に一般社会人向けコース、上級コースの設置を検討するよう言われました。現コースも不整備なところが多い上、現行の教師2人体制では無理です。その前に、職業訓練校での日本語教育の位置付けを考えなければならないと思っています。そのため、去年の卒業生にアンケート調査を実施し、現コースを整備し直した上で、新コースについて考えようと思っています。
 最初は物珍しくて何でも新鮮だったものが、最近ではストレスとして感じることが多くなってきました。仕事では先に書いたとおり、悩みが尽きない上に自分の力不足、勉強不足を実感している毎日です。私生活では、常に一緒にいるカウンターパートや周りのスリランカ人の仕事に対する考え方や付き合いの仕方などに理解しがたいこと、納得のいかないことが見えてきました。
 異文化理解・・・今の私にはまだ難しいことのようです。

2001/08/16 上に戻る

比延の里新聞2001年10月掲載

 8月31日、スリランカ式の結婚式に初めて招待されました。行ったのは、4月のシンハラ正月に1週間ホームステイしたワラスムッラという村の家の娘と、近くに住むホテル勤務の青年との結婚式です。2人はお見合い結婚です。田舎では親の薦める見合い結婚が多いらしく、ホロスコープを照らし合わせて見合いをします。会って、気に入らなかったら断ることもできます。こちらの結婚式は2日間行われます。家でしたり、ホテルを使ったりと家庭(の経済状況など)によって違うようです。私が出席したのは家での結婚式で、2日目のパーティだけです。
 1日目は花嫁の家で行われ、たくさんのセレモニーが時間をかけて行われるようです。花嫁は白いサリーを着ます。2日目、花嫁は赤いサリーを着て花婿の家に行きます。新郎新婦は1日目に泊まっていたホテルから車でやって来ました。花婿の家に入る前に、花婿のお母さんが花嫁に水を飲ませます。それから玄関先で少女達に合唱で迎えられて、家に入ります。入ったらランプに火を灯します(こちらでは、何かセレモニーをする時はいつもランプに火を灯すことから始まります)。それから、電飾で飾られた新郎新婦席に座り(写真)、お互いジュースを飲ませあいしたりして、しばらくみんなに見てもらいます。それから、用意されたごちそうを食べます。まず新郎新婦がご飯を取ってから、他の人が取っていきます(写真)。私達はご飯を食べた後、帰ったので、その後どういうセレモニーがあったのか分かりませんでした。
 私達外国人は、両親よりもいい所に座らせてもらっていました。どこへ行っても、私達は一番の扱いを受けます。家に外国人が来ることが自慢なのかもしれません。
 結婚式が終わったら、新郎新婦は親戚周りをしながら国内旅行をするようです。派手なパフォーマンスはありませんでしたが、とてもアットホームな結婚式で、こちらも幸せな気分になりました。

2001/10/13 上に戻る

比延の里新聞2001年12月掲載

比也の里のみなさん、あけましておめでとうございます。

 私は生まれて初めての暑いお正月をスリランカで迎えています。
 新年第一号の今回のテーマは・・・スリランカに来てびっくりした文化や習慣については前にいろいろ書きましたが、最近度肝を抜かれた「あれ」について。

 10月30日から11月3日までテクニカルカレッジの展覧会がゴールで行われました。学生の作品を展示したり、ワークショップを開いたりして、テクニカルカレッジのことを広く住民に知ってもらうために、全国にあるテクニカルカレッジで順番に行われています。今回は南部にある4校合同の展覧会で、我が日本語クラスは・・・というと、スペースがなくブースを設けることができませんでした。
 これまで何度かJICAブースを設けてJICAや日本の紹介を行っていたので、今回もその話をもらいました。それで、日本語クラスの学生に手伝ってもらうことにして、写真パネルの説明や折り紙のワークショップなどを行いました。
 この展覧会の会場には移動遊園地や出店がたくさん来ていました。遊園地としては観覧車やメリーゴーランドなど。でもその観覧車が何かおかしいのです。高さは10mぐらいで、屋根のないお皿のような所にお客さんが乗っているのですが、とにかく回転が早いのです。目が回りそうなくらい。しかも回しているのは人。観覧車の中に入って移動しながら回していました。ちょうどハムスターがかごの中で車輪のような物を走りながら回すように。名付けて「超高速人力観覧車」。途中で雨が降ってきたのですが、屋根がないのでみんなびしょ濡れ。でもとっても楽しそうでした。お客さんが交代する時も一苦労で、観覧車が回らないようにロープで引っ張っておかなければなりません。
 観覧車と言えば、「もちろん」高くて、ながめがよくて、ゆっくり回って、個室になっていて・・・と思っていたら国によって違うんですね。後で学生に日本の観覧車について話したら、逆にびっくりしていました。
 まだまだ新しい発見が続いています。今度はどんな物を目にするのやら。

2001/12/05 上に戻る

互助会報第17号掲載

西脇市互助会の皆様、あけましておめでとうございます。

 昨年は協力隊の参加に向け、何かと御迷惑をかけたにも関わらず、励ましや応援の言葉と共に送り出して頂き、とても有難く思っています。念願の日本語教師としての生活を楽しんでいます。遠い所にいますが、本年もよろしくお願いいたします。
 さて、初めて受け持った学生達が去年の11月末に卒業していきました。文法・聴解など6科目の卒業試験を全てパスし、気持ちよく卒業していったのですが、彼らの卒業後のことを考えると頭が痛くなります。職業訓練校で勉強したにも関わらず就職できる学生が本当に少ないのです。特に日本語を勉強しても日本語を武器に就職できる学生はいません。それが目下の悩みで、これからの私の活動の軸にしていこうと思っているところです。
 スリランカで初めて年末年始を過ごしたのですが、こちらではお正月行事は4月にあるので、この時期は何もしないようです。学校も開いていて卒業試験をしたりしていました。私は他の隊員と一緒にスリーパーダという2200mほどの山に登って初日の出を見てきました。スリーパーダは仏教徒、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒にとっての聖地で巡礼のために登る有名な山です。頂上まで全て階段なので体力的にはかなりきついものでしたが、日の出がきれいに見られて大満足でした。日本でもそうですが、きれいな初日の出を見るのは天候なども影響して難しいようです。いい年明けになりました。
 それではみなさんもよいお年を。

2002/02/01 上に戻る

比延の里新聞2002年2月掲載

比也の里の皆さん、こんにちは。

 日本ではそろそろ春の気配が感じられるようになったでしょうか。赤道近いスリランカは相変わらず強い日差しが続いています。でも日本の夏のように湿気があまりないので過ごしやすいです。
 さて、今回は元旦に登ったスリーパーダのことについて。スリーパーダはスリランカの内陸にある山でスリランカ人にとって聖地です。なぜかというと頂上に聖なる足跡があり、仏教徒はこれを仏陀のものと、ヒンドゥー教徒はシヴァ神のものと、イスラム教徒とキリスト教徒はアダムのものとそれぞれ信じているからです。それぞれの宗教が対立せず、聖地を共有して巡礼を行っているところが素敵だなぁと思います。
 元旦に初日の出を拝みたいと思い、隊員10人ほどで登りました。前日は山の麓に日本寺があるので、そこに泊めてもらおうと思ったのですが、住職が不在で泊まることができなかったので近くのゲストハウスに泊まりました。朝4時ごろから登り始めました。初めは楽しく話しながら進んで行ったのですが、途中からはもう「つらい」としか思わなくなりました。標高2243mあるのですが、頂上まで全部階段になっているのです。しかもだんだん斜面が急になります。子供を抱いたり、サリーを着ていたり、裸足だったり、歌を歌ったりしながら軽々と登っていくスリランカ人にどんどん抜かされながら、何とか頂上まで登ることが出来たのは奇跡のようでした。頂上は風も強く、スリランカとは思えないほど寒かったです。そこにはたくさんのスリランカ人や外国人がいました。スリランカ人も初日の出を見に来るようです。
 日本と同じで天候に左右されるのでなかなかきれいに見られないらしいのですが、私達は眩しいくらいにきれいに見ることが出来ました。思わず手を合わせて拝んでしまうところは「やはり日本人だなぁ」と思います。
 今年一年の願かけもしてきました。皆さんにとってもよい一年でありますように。

2002/02/16 上に戻る

比延の里新聞2002年6月掲載

比也の里のみなさん、こんにちは。
 日本は今梅雨の時期だと思いますが、こちらスリランカも雨季で毎日のように雨が降っています。日本のように、一日中しとしと降るのではなく、ざーっと降って、すぐにからっと晴れます。
 先日、スリランカに来て2度目の誕生日を迎えました。誕生日は日本語クラスの学生がささやかなパーティを開いてくれて、手作りのプレゼントやカードをたくさんくれました。
 実は5月初めに1年ちょっと住んだ学校の教員住宅を出て、下宿住まいを始めたんですが、大家の息子の誕生日も先日ありました。5歳の誕生日です。こちらでは誕生日を迎えた本人がみんなにごちそうしたり、プレゼントをあげたりするそうです。息子は幼稚園に通っているのですが、幼稚園児85人分のプレゼントを2,3日前からお母さんが準備していました。1人分ずつ、かわいいお皿に折り紙で作った箱をのせ、その中にチョコレートなどのお菓子を入れていきました。折り紙は私が教えてあげました。そして大きな時計の形のケーキを焼いて幼稚園に持っていったようです。
 その日の夜は家でパーティです。もう一つ焼いてあった大きな蝶々の形のケーキにろうそくを5本立て、「ハッピーバースディ」の歌を歌ってろうそくを消すのは日本と同じでした。でもそこからが違います。ケーキの食べさせ合いっこが始まるのです。お互いに、特に主役にケーキを食べさせたり、食べさせてもらったりします。これはお祝い事ではよく見かける光景です。私としてはちょっと抵抗があります。ケーキはまだいいのですが、ご飯を手で食べさせるのは本当にびっくりしてしまいます。
 2年目に入って、珍しく思うものが少なくなってきましたが、それでもまだまだ新しい発見がありそうな気がします。

2002/06/15 上に戻る

互助会報第18号掲載

西脇市互助会の皆さん、お元気ですか。
 日本ではワールドカップですごい盛り上がりだと聞いています。スリランカでも日本戦は民放テレビで放送していました。普段サッカーに興味のない私も、異国にいるからか、やはり日本を応援したくなり、テレビにくぎ付けになっていました。私の周りにいるスリランカ人も日本を応援してくれていました。今回でまた日本により親しみを持ったようです。
 さて今回は最近の「あぁ、またかぁ」とがっかりした出来事について。スリランカではホロスコープ(月占い)が非常に信じられていて、結婚相手との相性はもちろんのこと、引越しの日、行事や出発の時間等、何よりホロスコープを見て決めます。先日、体調が悪くなり、パドマ先生(同僚の日本語教師)の授業時間は休んで自分の授業時間に行くことを伝えて学校に行ったところ、パドマ先生はホロスコープの時間を見て早めに学校を出てしまっていました。授業より学生よりホロスコープが大事なようです。自分の失敗もホロスコープが悪いせいにします。日本にも大安吉日を好む風習があるので、文句も中途半端にしか言えず、なんともストレスが溜まってしまいます。
 そのパドマ先生は来年4月以降が結婚に適した時期らしく、今は必死になって見合い相手を探しています。ホロスコープで選んだ相手がどんな人か、私がスリランカにいる間に見てみたいものです。

2002/06/25 上に戻る

比延の里新聞2002年8月掲載

 比也の里の皆さん、残暑お見舞い申し上げます。

 今年も、日本は暑さが厳しいようですね。日本から来る人達は口を揃えてスリランカの方が過ごしやすいと言います。私は日本の厳しい蒸し暑さから開放されて、快適な南国の生活を楽しんでいます。
 5月まではテレビのない生活を送っていましたが、引越をしてからテレビをよく見るようになりました。先日は、シンハラ語で『アンパンマン』が始まったのでびっくりしました。アジアでは『ドラえもん』や『ピカチュウ』が有名だとよく聞きますが、この国ではあまり知られていません。その代わり『アンパンマン』がしていたようです。シンハラ語で見ていたら、何か変な感じがしました。
 その他にテレビ番組で有名なのは『おしん』です。これは誰でも知っています。日本人だと言うと、決まってスリランカ人は『おしん』のことを話します。これまでに何度も放映されているようで、私が来てからも放映されていたようです。もちろんシンハラ語です。そのイメージで「日本人は勤勉で素晴らしい。だから戦後の短期間であそこまで発展したんだ」と尊敬しているようです。それは有り難いことなのですが、そのイメージが強すぎて、「日本では雪がたくさん降って、日本人は着物を着ていて、みんな死に物狂いで働いている」と思っているようです。
 間違った日本観としておもしろい話を聞きました。数年前に日本へ行ったスリランカ人の話です。日本に着いてからずっと疑問に思っていたことを日本人に聞いたら爆笑されたそうです。何を聞いたのかと言うと「忍者はどこにいるの?」。その人は、日本には今でも本当に忍者がいると信じていたようです。日本の典型的な文化や習慣が誇張されて伝えられているのだと思いますが、私達も同じように外国のことを間違って認識していることが多いかもしれません。私もスリランカに来る前は、みんな掘っ立て小屋のような家に住んでいる貧しい国だと思っていたのですが、それは一部で、庭付きの立派な家に住んでいる人がたくさんいるのですから、実際見てみないと分からないものだと思います。

2002/08/17 上に戻る

互助会報第19号掲載

互助会の皆さん、お元気ですか。
 日本は今頃食欲の秋・・・あー、おでんが食べたい・・・と思いながら、この原稿を書いています。
 気が付いてみると、あと残り半年になりました。そろそろこれまでの活動を振り返り、自分の活動の成果をまとめる時期になりました。そして、後任が少しでも活動しやすい環境を整えて、任期を終えたいと思っています。
 スリランカに来て、びっくりしたり、戸惑ったりしたことが、もうすっかり日常になってきました。仕事をしない、嘘をつく、言い訳をする・・・すっかり慣れてしまって、どうせこの仕事を忘れているだろう、と思っていたことが出来ていたりすると、返って感動しています。日本人みたいに時間どおりに仕事をしない、きちんと仕事をしないから、スリランカは発展しないんだということをスリランカ人はよく口にします。
 分かっているならやれよー、と思いますが、思い通りにいかないのがこの国のようです。慣れているつもりでも、必死に抵抗している毎日です。
 スリランカが嫌いになるときが多いですが、逆に日本では少なくなってしまったいい面もあるように思います。
 家族を何より大切にする心、頻繁な近所付き合い、せかせかしない生活、客を精一杯もてなす心、そして豊かな自然。あと半年でもっとスリランカのことを好きになって、大好きになって帰りたいと思っています。

2002/10/02 上に戻る

比延の里新聞2002年10月掲載

比也の里のみなさん、お元気ですか?日本は何をするにもいい季節、秋ですね。

 スリランカは一年中暑いので、季節の情緒に浸ることができなくて残念です。
 先日、新聞に掲載されたように、西脇サッカー協会の皆さんからサッカー用品を寄付していただくことになりました。スリランカはまだまだ国に経済力がなくて、設備や用具、教材などが十分にある学校は本当に少ないです。内戦のために国の予算が軍事費に使われてしまうのが原因です。先生の給料もまともに払われていないところもあります。でも最近は落ち着いて和平交渉も進んでいるので、これからは教育や福祉の分野などにも力を入れてほしいものです。
 このような国の子供達はどんな暮らしをしているのでしょうか?という質問をいただきました。私達が普段接している比較的裕福な子供達に聞きました。10歳前後の子供達の好きな遊びのダントツ一位はクリケット。広場や道端でよくやっています。好きな科目は国語や日本語。嫌いな科目は英語や家庭科。学校では前日のテレビ番組などを話題にしています。ただし、テレビや電話のない家庭がかなりあります。好きな食べ物はお菓子。この年頃はまだ親に手でご飯を食べさせてもらっています。家では買い物の荷物運びや掃除などを手伝いますが、甘やかしている親が多いので、家の手伝いをしない子供も多いです。日本について知っていることは、「おしん、東京、お金持ち、トヨタなど車会社の名前(走っている車のほとんどが日本の中古車なので)、忍者(蚊取り線香の商品名にもなっています)」など。今一番欲しいものはやはりコンピュータ。行ってみたい国は日本、ドイツ、オーストラリア。
 10代後半の野球少年たちの話題はやはり女の子のこと。友達とは海で泳いだり歌を歌ったりしています。日本について知っていることは「新幹線」。行ってみたい国は日本。今一番欲しいものは野球のボール。スリランカではクリケットに人気がある分、マイナースポーツである野球の道具がほとんど手に入らないらしいです。
 こうした子供達はきちんとした制服を着て毎日学校へ通っています。食べたい時に食べたいだけ食べられる子供たちです。その一方、通勤途中の空き地で野宿している家族もいます。薄汚れた服を着て、「お金をくれ」と言って近寄ってきます。バスに乗っていたら物売りの少年が乗ってきます。学校へ行かずに働いている子供達です。紅茶畑やゴム畑の労働者村から一歩も外へ出ずに一生を終えるタミル人もたくさんいます。
 このような国の中で、私は中国人だか日本人だか分からないけれども裕福そうに見える外国人として、いつも物珍しい目で見られて生活しています。

2002/10/20 上に戻る

比延の里新聞2002年12月掲載

比也の里の皆さん、明けましておめでとうございます。

 スリランカから新年の挨拶をするのも2回目、そして最後となりました。
 スリランカは相変わらず暑い日が続いていますが、今スリランカは春だそうです。どこがやねん!
 スリランカのお正月は4月なので、年末年始は普段通りに過ぎていきます。やはり物足りないので、ヒルトンホテルに泊まって、日本食を食べたり、衛星放送で紅白歌合戦を見たりしようと思っています。マクドもケンタッキーも日本食レストランも高級リゾートホテルもあるので、たまに利用しています。贅沢なのですが、日本よりかなり安く利用できます。そうやって時々日本人らしさを取り戻そうとしていますが、スリランカ人らしくなった私を見てびっくりしないでくださいね。それでは皆さん、よいお年を!

2002/12/14 上に戻る

比延の里新聞2003年2月掲載

比也の里のみなさん、こんにちは。スリランカは一年で一番暑い4月に向かって益々暑くなっています。

 私もあと少しで日本に帰ります。いろいろと文句を言ってきましたが、住めば都で今ではスリランカに来てよかったと心から思います。緑が多く、果物や野菜が豊富で貧しくても飢えることはありません。特に果物は種類が豊富で本当においしいです。時間の流れはのんびりしていて、助け合って生活し、家族の絆も強く、心豊かな生活です。スリランカ人の友達も出来ました。下宿の家族や職場のスタッフ、学生は「帰らないで、ずっといて!」と言ってくれます。いい人達に囲まれて幸せです。
 民族紛争や貧富の差など、改善すべき面があると思いますが、スリランカ人の表情を見ていると、近代化されず、そのままでいてほしい素晴らしい面もあるように思います。
 では、4月に皆さんと会えるのを楽しみにしています。

2003/02/12 上に戻る

互助会報第20号掲載

皆さん、お元気ですか。

 スリランカでの生活、そして日本語教師としての生活もあと少しになりました。
 最後まで気になるのは卒業生の進路ですが、去年の暮れから日系企業を訪問し、働きかけをした結果、卒業生の雇用を申し出てくれる企業がありました。これを機会に日系企業への就職が広がってほしいものです。
 こんなド素人の教師ですが、パドマ先生や学生達は慕ってくれました。下宿の家族は本当の家族同様に接してくれました。パン屋や雑貨屋のおじちゃん達との交流も毎日の楽しみでした。現地語が出来る分、素朴な付き合いが心を暖かくしてくれました。
 愚痴をこぼしてばかりいましたが、日本に帰れる嬉しさと同じくらい、こちらを離れる寂しさが沸いてきています。
 さて、スリランカからのお便りも今回が最後となりました。今まで応援していただいてありがとうございました。4月から、また市役所でお世話になります。日本人らしさや若さがだいぶ失われていると思いますが、よろしくお願いします。会って、びっくりしないでくださいね。

2003/02/20 上に戻る

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